明澄透派の起源

 
 明朝末期(日本の安土桃山時代ごろ)の中国福建省には、多くの五術門派がありました。

 なかでも、「梅花門派」と「白雲門派」は有力な門派でしたが、秘伝の奪い合いから対立し、「梅花門派」側が、他の門派をだまして味方にし「白雲門派」を滅ぼしてしまいました。

 滅ぼされた「白雲門派」の白夫人は、復讐を誓い、「梅花門派」の当主梅氏の幼い女児たちのうち、妹の麗艶(れいえん)を連れ出すことに成功します。
 最初は麗艶を殺すつもりだった白夫人ですが、どうしても殺すことができません。
そこで麗艶を自分の娘として育て、「白雲門派」の秘伝を教えて「梅花門派」に復讐させることを思いつきました。
 もし「梅花門派」を倒せば、梅氏は自分の娘に殺されることになりますし、失敗しても、梅氏が自分の娘を殺すことになりますから、これこそ最高の復讐になると考えたのです。 

 白夫人は麗艶に白雪鶴(せっかく)という名をつけて育て、幼かった麗艶は梅家のことはすっかり忘れ、白家の人間として成長します。
 雪鶴が16才のときに白夫人は亡くなりますが、「梅花門派」やそれに味方した門派を滅ぼすよう、雪鶴に遺言を残します。

 復讐を誓った雪鶴は赤い衣を纏い、「白雲門派」を滅ぼした門派に対して離合集散を画策し、次々と門派の当主たちを殺します。
 この噂は「梅花門派」に届き、梅家の長女梅素香(そこう)が立ち上がり、門派の連合軍を結成し、白雪鶴に挑みます。
 素香は白い衣を纏い、実の姉妹が、それぞれ赤い衣と白い衣を着て、戦場で見えることになったのです。
 雪鶴の勢力も「白雲門派」の残党なども集めて拡大していましたが、門派連合軍の前には敗退し、ほとんど全滅してしまいます。

 一人で囲みを逃れた雪鶴は「梅花門派」の本拠地に向かい、掌門の梅耕天、つまり自分の父親を、そうと知らずに殺してしまいます。
 さらに、姉素香の婚約者に目をつけ、誘惑して自分のものにしてしまいました。
 そのころ、ようやく素香は雪鶴が自分の妹麗艶であることに気づき、二人に文を送ります。このころから、素香の体は病に侵され病床に伏せるようになります。
 手紙を受け取った雪鶴は驚きますが、今更どうにもできません。奪った婚約者とともに素香の病床にひざまずき、許しを乞うのが精一杯です。

 素香の病気は、今で言う白血病であり、もう余命いくばくもないこと知っていた素香は二人を許し、汚れてしまった「梅花門派」を閉じ、新たな五術門派を作り「明澄透派」と名付けたいと申し出ます。
「明澄透派」とは「明るく澄んで透き通り、塵も汚れも全く含まない清らかな門派」という意味です。

 梅素香は「明澄透派」初代の掌門となり、やがて生まれる雪鶴夫婦の子供を二代目として五術の秘伝全てをその子に授けることにし、自分は山奥の石塚に籠もり、次のような十五種類の『大法』と名付けた秘伝書を書き残します。

       『紫薇大法』 『子平大法』 『星宗大法』
       『六壬大法』 『奇門大法』 『太乙大法』
       『面掌大法』 『陽宅大法』 『風水大法』
       『方剤大法』 『鍼灸大法』 『霊治大法』
       『玄典大法』 『養生大法』 『修密大法』
 

 『大法』を書き上げた後、梅素香は自ら石塚を爆破し、永遠の眠りにつきます。『子平大法』には素香自身の詩が書かれていました。
 
   芳身蔵石塚  芳身石塚に蔵し、
   墨跡留余哀  墨跡余哀を留む
   天上魂帰去  天上魂は帰り去き
   人間不再来  人間再び来たらざり
 、、
 麗艶夫婦はその後女の子を産み、梅素香の遺言どおり「明澄透派」二代目掌門を継承させます。
 その後、「明澄透派」は福建省の名門五術門派として活躍しますが、清朝時代後期に台湾へと移転します。
清朝は満州人の政権であり、漢民族にとっては異民族支配ですから、伝統的な門派が活動するには、不自由なことが多かったのです。
 当時の台湾も清朝の統治下にありましたが、その前の鄭成功やオランダの植民地時代に比べずっと緩い統治になっていました。
そのために福建省から台湾に移住する人々が多く、福建語がそのまま台湾語となり、習慣も福建省と変わりません。現在も台湾には多くの五術門派が残っていますが、そのほとんどは、かつて福建省から移転したものです。